自動車シート設計の最適化:1G環境における真のニュートラル・ボディ・ポジション(NBP)とCAE解析

Home » Case Studies » 自動車シート設計の最適化:1G環境における真のニュートラル・ボディ・ポジション(NBP)とCAE解析

1G環境下におけるニュートラルポジションの解説

About This Case Study

本記事は、GRMユーザーカンファレンスにて発表された講演資料を基に、自動車シート設計における「1G環境でのニュートラル・ボディ・ポジション(中立姿勢)の探求」と「CAEを用いたシート構造の最適化」について要約・解説したものです。

  • テーマ: Engineering for the Neutral Body Position while meeting Seat Performance and Comfort
  • 発表者: Dave Withey 氏(Jaguar Land Rover / Technical Specialist for Seating Innovation and Comfort)

原文プレゼンテーション資料(外部サイト)を見る

「ゼログラビティシート」の前提と生じる疑問

長時間の運転において、ドライバーの疲労軽減は自動車開発における永遠のテーマです。近年、疲労を軽減するアプローチとして「ゼログラビティ(無重力)シート」という概念が広く知られるようになりました 。これは、NASAが微小重力環境(宇宙空間)で記録した人間の自然な姿勢、すなわち「ニュートラル・ボディ・ポジション(NBP:中立姿勢)」をシート設計に応用し、筋肉への負担を最小限に抑えようとする試みです

しかし、Jaguar Land Rover(JLR)のDave Withey氏を中心とする研究チームは、この定説に対して工学的な観点から一つの疑問を提示しました 。「微小重力環境で計測された姿勢を、そのまま1Gの重力が作用する地球上の設計に適用して、本当に快適と言えるのだろうか」という点です

【解説コラム】無重力(0G)のデータを地球(1G)に適用するリスク

NASAの初期のNBPデータは、宇宙服の運動学やミッションタスクの評価を目的として微小重力下で収集されたものであり、本来「快適性」を追求するためのものではありません。
重力のない環境では、脊椎が自然に約3%伸び、筋肉量は月に平均20%減少すると言われています。このような微小重力特有のキネマティクス(運動学)を、常に1Gの重力負荷がかかる地球上の環境に長期間適用した場合、人体は本来想定されていない負荷を受けることになります。

結果として、一部の筋肉に不自然な緊張が生じ、疲労の蓄積や長期的には筋萎縮を引き起こすリスクすら懸念されます。真に快適なシートを設計するためには、「1G環境下における重力負荷」と「運転という特定のアクティビティ」に基づいた独自のNBPを再定義する必要がありました。

地球環境(1G)における真のNBP探求と測定手法の革新

JLRはデルフト工科大学(TU Delft)と共同で、1G環境における最適なNBPを導き出すための研究プロジェクトを立ち上げました 。この研究には、将来の自動運転環境を見据え、健康な成人(男女同数、最大年齢40歳)36名が被験者として参加しています

過去に行われたNASAの計測(Skylab-4等)では、写真を用いたアウトライン追跡が主流でしたが、カメラのレンズ歪み(魚眼レンズの影響)や未知のカメラ位置、被験者の体格差によるスケールの不一致など、データの信頼性に課題が残されていました 。そこでJLRの研究チームは、これらの誤差を排除するための新しい3Dフォトグラメトリ(写真測量)技術を導入しました

新しい3Dフォトグラメトリとカメラキャリブレーションによる測定手法
図1:新しい3Dフォトグラメトリによる姿勢測定手法
キャリブレーションボードを用いて光学的な歪みを補正し、4Dカメラ検出と3Dスキャンを組み合わせることで、極めて精度の高い関節角度(キネマティクス)の取得を実現しています。
従来の測定手法(写真ベース)の課題 本研究における革新的なアプローチ
未較正のカメラによる光学的な歪み(魚眼レンズ等の影響) チェッカーボード画像を用いたカメラのキャリブレーションを実施し、焦点距離や歪みパラメータを補正。
カメラの位置や視野角が不明確であり、再投影エラーが発生。 室内の3Dスキャンを実施し、画像と3D座標の特徴点を一致させることで最適なカメラ位置と向きを推定。
被験者の体格(人体計測値)が不明なため、スケールの不一致が生じる。 3Dスキャンから個別のボディテンプレートを生成。骨格リンクシステムを組み込むことで、体型による誤差を最小化。

快適性と安全性の並立、そしてCAE最適化への移行

精密な測定と分析の結果、JLRは地球上(1G環境)で人間が最も快適に過ごせる真の関節角度のセットを導き出すことに成功しました 。局所姿勢不快度(LPD)の評価においても、この新しい基準を用いて調整されたシートは、従来のシートと比較して極めて高い快適性(低不快度)スコアを記録しています

1G環境下で正しく測定されたNBP(Neutral Body Position)の結果
図2:1G環境下で正しく測定されたNBP(Neutral Body Position)の結果
NASA-STD-3000(Han Kimら、2019)の改訂版中立姿勢(NBP)法を用いて算出された。この方法は、肩、肘、膝関節の3方向投影姿勢を取り入れている。

しかし、自動車のシート設計は快適性だけを満たせば良いというものではありません。乗員の姿勢が変化すれば、衝突時の乗員挙動や拘束性能(シートベルトやエアバッグの効果)も大きく変わります 。安全性の担保は自動車メーカーにとって最優先事項であり、法規要件を満たしつつ新しい快適姿勢を実装することは非常に難易度の高い課題となります

ここで不可欠となるのが、TriMech(旧GRM UK)がサポートする高度なCAE(シミュレーション)技術です 。JLRはPLACES(Premium Lightweight Architecture for Carbon Efficient Seating)やLAVS(Lightweight Advanced Versatile Seat)といったプロジェクトを通じて、快適なシート構造をいかに安全に、そして軽量に実現するかを追求しています 。

CAEを用いたシートパン構造の最適化プロセス
図3:CAE最適化を用いた材料配置の効率化
衝突要件や性能目標を満たしつつ、質量目標を達成するために最適化アルゴリズムを適用。シートパン構造を補強するための最も効率的な材料配置(鋼材の最適なカバレッジ)を導出しています。

シート構造の設計において、新しい材料の適用や代替構造の検討は、質量の削減(CO2排出量の低減)に直結します。CAEによる最適化解析は、荷重経路(ロードパス)を正確に可視化し、必要な部分にのみ材料を配置する無駄のない設計を可能にします。物理的な試作とテストを削減しつつも、高精度なシミュレーションと材料モデルの相関を取ることで、開発プロセス全体がより効率的に進められます。

まとめ:次世代シート設計の要は「人間工学とCAEの融合」

JLRの取り組みが示す通り、表面的なマーケティング用語としての「無重力」に頼るのではなく、科学的根拠に基づいた1G環境での人間工学を探求することが、真の快適性を生み出します

そして、その快適な姿勢を支えるシート構造を、重量増を招くことなく、かつ厳しい衝突安全基準を満たす形で具現化するためには、高度なCAE最適化技術が欠かせません 。人間工学に基づく理想の追求と、それを現実の製品へと落とし込むシミュレーション主導の設計(Simulation-Driven Design)。この両輪が揃って初めて、次世代の革新的な製品開発が実現するのです。

← 事例集一覧へ戻る ← 戻る
CAE最適化によるトランスミッション設計

設計者・エンジニア必読の特設コンテンツ

CAE最適化設計・完全ガイド:高価なツールを「宝の持ち腐れ」にしない!

現場を崩壊させる「手戻り地獄」から抜け出すには?F1から量産車まで、20年以上の知見を誇るGRMが「CAE主導開発」の極意を徹底解説。

完全ガイドを読む
シミュレーション主導設計実践ガイド

設計者・エンジニア必読の特設コンテンツ

CAD/CAE分業の手戻りを解消する「シミュレーション主導設計」実践ガイド

「終わらない手戻り」や「実機と合わないCAE」に疲弊していませんか?最適化アルゴリズムを駆使し、極限の軽量化と工数削減を達成するGRMのアプローチと9つの実践事例を公開!

実践ガイドを読む

その解析課題、GRMが解決します。

本記事でご紹介した「最適化を活かした製品設計」「シミュレーションを用いた乗り心地評価」を、御社の製品開発に適用しませんか?
「現状のモデルを見てほしい」「テスト解析を依頼したい」など、技術的なご相談からでも大歓迎です。

詳細資料を請求 / 解析・設計の相談をする(無料)

※「記事を見た」と書いていただけるとスムーズです。
  ※技術のご相談は各事例モデルの解析担当者に対応させます。

この記事の監修・執筆チーム

GRM Consulting株式会社 解析エンジニアリング部

モータースポーツ最高峰のF1から量産車開発まで、20年以上にわたり構造設計・衝突・振動・流体解析に携わるスペシャリスト集団。 単なるシミュレーション結果の提示に留まらず、本記事のようなCAE最適化設計を活かした設計を得意とし、製造要件(鋳造・鍛造・押出成形・板金・CFRP)を考慮した「造れる設計」を提案しています。

  • 主要ツール:LS-DYNA, Abaqus, Genesis, Nastran, OptiAssist, Simcenter 3D
  • 専門領域:構造最適化、衝撃エネルギー吸収体最適化、CFRP複合材解析、衝突解析、CFD解析